とりつくしま 「レンズ」 を演じて (堀多佳子)
今回初めて 「ステージ・アップの朗読会」 に、参加させて頂きました。
長野先生に 「朗読」 を教えて頂くようになって以来、毎年のように拝見していた 「ステージ・アップの朗読会」
「いつかは、私も出たいなあ~」 と夢見ていたので、先生からお声がけ頂いたときは、
「喜んでお受けします!」 と、2つ返事でお受けしました。
『レンズ』 は、生前、孫の入学祝いに貯金を下ろして高価なカメラを買ってあげたおばあさんが、
死後、孫が見る景色を一緒に見ようと、そのカメラのレンズにとりついたストーリー。
「さて、翔太はなにをしているところかな? あれ? ここは?」
初の舞台で、自分はどんな感情になるのか、ちょっと不安だった。
音楽が始まり、ちょこちょこと小股で歩いてステージに登ると、意外と冷静な自分がいた。
「アタシはねえ、もう一度会いたかったんだよ、翔太!」
「おまえがカメラのレンズで覗くものを、一緒に見てみたかったんだよ!」
なんと孫はおばあさんが死んですぐ、中古のカメラ屋 にカメラを売っていたのです。
そしてカメラは、どこぞのじいさん に買い取られてしまうのです。
語り始めて 『たくさんの古めかしいカメラが、棚に置かれている』 のところに来ると、会場がざわっとした。(あら、売られた?)的な。
その辺で、お客さんがしっかり聞いてくれていることを感じ取り、楽しくなって来た。
「え?アタシ、このじいさんに買われちゃうの?」
ここで、笑いが来た。
『なんだい、カメラになってまで年寄り扱いなのかね』
ここでも、笑ってもらえた。温かいお客さんたちだった。
「売り買いされるモノっていうのは、無力なもんだね」
私はこのおばあさんの切り替えの速さが好きでした。
「おまえに与えたカメラだ、好きにしてくれていいよ」 と、ため息をつきながらも、さらっと諦める潔さ。素敵です。
「今日は、昨日の続き。明日は、今日の続き。アタシはあれから今日を、三十年も重ねてしまった」
「買われていくモノっていうのは、ゆきずりなんだね」
自分の身の上を嘆くおばあさんでしたが、
そのじいさんに、30年前に先に逝ってしまった夫の姿を重ねて、少しずつ心を寄せて行きます。
じいさんの家に連れて行かれ、ガラス越しにじいさんを見ている場面は、
すっかりばあさんに成り切って楽しんでいる自分かいた。
「これ、桜だね! アタシは、これからこんなふうに、同じ景色を見るんだね」
「カメラのひもが首にまわされて、私はこの人にぶら下がった」
「アタシは、まだ名前も知らない人の胸の前で弾みながら、海をめざした」
そしておばあさんは、じいさんと旅を楽しもうとします。
じいさんが綺麗だと思う景色を一緒に見ることを喜びとしていくのです。
じいさんと桜を見ている場面。ステージでは、満開の桜が見えていた。
今までで1番気持ちよかったような。もう、ここは腕をまわしてラブラブ気分のように演じました。
そして、ふと気付いた。えっ、もう終わるの?早口だった?間が足りなかった?
でも、そこは今考えるのをすぐやめて、クライマックスを楽しんだ。
どこまで伝えられたか分からないが、とにかく、練習したことを生かして頑張れたとは思います。
本当に楽しく演じられたステージでした。全ての方々に心から感謝します!!ありがとうございました。 (堀 多佳子)