約束の中に希望を・・・
雪が舞う中、不安と恐怖で震えたあの日。
気が付けば、雪ではなく桜の花びら舞う暖かい陽だまりの中。
季節は春へと移り、私達を悲しみに巻き込んだ東日本大震災から
ひとつき半もの時が流れていました。
私は、津波と大規模火災に見舞われた港町「気仙沼」で生まれ育ちました。
リアス式の美しい海辺と、そこに住む人々の温かさが大好きでした。
大学進学と共に故郷を離れてからは、節目に時折帰省する程度だった気仙沼。
そんな故郷に再び足繁く通うようになったのは、丁度3年前。
気仙沼の式場から「一緒に仕事をしませんか?」とお誘いを頂き、
ホームグランドを仙台から気仙沼に移しました。
式場の目の前に広がる大谷海岸は、海水浴100選にもなっている景勝地。
白を基調とした可愛いチャペルは、正面がガラス張りで、
青い海と空に包まれているような素敵なブライダルシーンを演出。
オリジナルの砂浜挙式は、新聞や雑誌でも取り上げられ注目を集めていました。
そこで働くスタッフも気さくで温かい方ばかり。
私にとって とても大切で大好きな場所でした。
地震後、式場とスタッフの事が心配で何度も電話をしましたが繋がらず。
不安が募る中、ラジオやネットなどありとあらゆる手段で安否を確認しようとしました。
しかし、ライフラインの復旧も遅れ、情報が錯綜としていた時期、
とりあえず現地で確かめようと、集められるだけの物資を車に乗せ気仙沼に向かいました。
美しい海岸線は跡形も無く、海岸から少し小高い場所に構えていた式場は津波を被り、
直視出来ないほど悲しい姿に変貌していました。
無残にもさらけ出された骨組み。
壁も抜け、照明器具などが無造作にぶら下がり瓦礫と化した空間。
その中に佇む一人のスタッフを見つけた瞬間、思わず駆け寄り手を伸ばしていました。
ただただ涙が溢れ、あの時の思いは、自分でも説明ができません。
式場は、変わり果てた姿になりましたが、スタッフは全員無事だったことが確認できました。
それが何よりの幸い。胸の痞えがひとつとれた瞬間でした。
別れ際、「今度お会いする時は、必ず笑顔で再会しましょう!」と誓い合い、その場を後にしました。
先のことは分かりませんが、地元の人々から長年愛されてきた海辺の会場で、
いつかまた、スタッフの皆さんと再会できる日を心から願っています。
その時は、交わした約束通り、笑顔で対面できますように・・・
そして地震の翌日、前出の会場では披露宴が予定されていました。
新郎新婦は、甚大な被害を受けた南三陸町のご出身。
地震当日に入籍を予定していたお二人にとって、3月11日は記念日となるはずでした。
地震の後、何度か連絡をするもやはり電話は不通。
一週間も過ぎると、沿岸部の惨状がつぎつぎと把握できるようになり、
安否を確認するのが恐くなっていた頃、見覚えのあるナンバーから着信あり。
12日に披露宴を予定していた新郎からでした。
新郎新婦共に無事。ホッと胸を撫で下ろしました。
しかし、両家共に家を失い、新婦のお母様は津波の被害にあわれたという悲しい報告も。
ブライダルフェアでは、モデルをして頂いたこともあり、新婦のお母様にも数回お会いしていました。
物静かで穏やかな優しいお母様でした。
掛ける言葉を失っている私に、新郎が明るくキレのある声で言葉を続けました。
「島尾さん、俺たち頑張ります。これから自分達が新しい南三陸を作っていきます。
そして、いつか必ず結婚式をします。その時は島尾さんにお願いします。」と。
その口調に、力強さと頼もしさも感じました。
彼らのような若者や未来を担う子供達が、
きっと南三陸町に明るい光を差し込んでくれるだろうと未来に希望が湧きました。
悲しみを乗り越え、約束が実った時、人としての厚みを増した二人に再会する日を楽しみにしています。
そして日が経つにつれ、悲しい知らせも少しずつ耳に入ってくるようになりました。
震災から一ヶ月以上経った頃、ご縁を持った花嫁さんの訃報が届きました。
結婚式が済んでからも、お手紙やボールペンを贈って下さるなど、
細やかな気遣いのできる古風な女性でした。
訃報が入ってから、以前頂いたお手紙に再び目を通しました。
人柄が伝わってくるような、丁寧な文面でした。
その結びに私へのメッセージが記されていました。
「司会という素敵なお仕事で、これからも頑張って下さい。」と。
以前は何気なく目を通しただけの言葉。胸に込み上げてくるのもがありました。
ホームグランドにしていた会場を失い、喪失感で一杯だった私を奮い立たせてくれたメッセージ。
悲しくも若くして天に召された彼女に約束します。
「私は、これからも司会というお仕事を続けていきます。」
彼女から贈られたボールペンとハンカチは、今、仕事のアイテムとして大切に使わせて頂いております。
この震災は、沢山の尊い命と人々の平穏な暮らしを奪いました。
しかし、この震災を通して人の温かさや故郷の大切さ、目に見えない価値あるものに気付かされもしました。
苦しみや悲しみの先には、必ず明るい未来があります。
十年後二十年後、素晴らしい未来が待っていますように・・・
最後になりましたが、被災された全ての方々にお見舞いを申し上げますと共に、
震災の犠牲となり、尊い命をなくされた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2011の春は、悲しい春となりましたが、皆様にとって心の底から笑える春が訪れますように・・・