「震災番組」 に思うこと

震災から3年をむかえる3月、この時とばかりに様々な 「震災番組」 が放送された。
その 「ドラマ」 も、そうした中の1本だった。


結婚を決めた若者が、それぞれの親に相手を紹介する。
それぞれの父親は、なぜか、憮然としている。


結婚して幸せになるはずだったふたり。
しかし、震災は 「彼の命」 を、奪ってしまう。


高台で被害の少なかった 「彼女の家族」 は、
震災さえ起こらなければ、縁続きになっていたのだからと、被災した 「彼の家族」 を何くれとなく気遣う。


しかし 「彼の家族」 特に祖父は、それを快く思わない。
「同情されるのはイヤだ。俺たちには構わないでくれ!」 と言って 「彼女の家族」 を拒絶する。


それでも気遣う 「彼女の家」 で 「彼の家族」 は大暴れする。
卓袱台をひっくり返し、部屋をめちゃめちゃにし、窓ガラスを粉々にして、
大声で喚き散らしながら 「彼女の家」 を後にする。


そんな 「彼の家族」 に、彼女は言う。
「私のことを思って、あんなことをしたんでしょう」
「早く忘れて新たな道を踏み出してほしいと思って、わざとあんなことをしたのでしょう」 と。


そんな彼女は、仮設住宅に暮らす 「彼の家族」 を訪ねるうちに 「彼の弟」 と交際を始める。
驚いた両家の親は、相談して二人を引き離す。


そうした中で、仮設住宅を訪ねた 「彼女の祖母」 に対して、
「彼の祖父」 は 「ハグしてもいいか」 と聞き、


更に、お互いの父親同士が、学生時代 「いじめる側」 と 「いじめられる側」 だったことがわかり、
お互いに1発ずつ殴り合って、めでたく仲直りをする。


やがて、 「彼の父」 は工務店をはじめ、 「彼の弟」 は漁師を継ぐことを決め、
震災後はじめて足を運んだ 「家の跡地」 で、お互いにハグしながら再生を誓うのだった。(おしまい)


正直言って私は、理解に苦しんだ。
何とも言いようのない 「気持ちの悪さ」 と 「違和感」 だけが、後に残った。


私は、作者に聞きたいと思った。
「あの作品には、モデルがあるのですか?」
「どういう気持ちで、あのドラマを書いたのですか?」 と


作者は 「あんな風に暴れて気持ちを発散すれば、気持ちが楽になるよ」 と言いたかったのだろうか?
それとも 「絆だなんだときれいごとをいっても、現実は所詮こんなものさ」 と言いたかったのか?


憤慨する私に、やはり番組を見た友人がぽつんと言った。


「私たち東北の人間は、口が重くて自分の思いをあまり表に出さない。
だからドラマにはなりにくい。でも所詮 『作り事』 だとわかっていても、
被災地以外の人があのドラマを見て、こんなものかと思われたら、やっぱりいやだな」


3月11日


今年も各報道番組は、メインキャスターを被災地入りさせ、
ある人は似合わぬヘルメットをかぶり、又ある人は小雪の舞う中、鼻先を真っ赤にして、
「私たちは、震災を被災地のことを忘れていません」 と、必死にアピールしていた。


あれから1週間がたち、 「お祭り騒ぎ」 は終わった。
そして町は、またいつもの通り静かになった。


皆さんにとって、この3年はどんな年月でしたか? そして今皆さんは何を思いますか?


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