「旧有備館」 復旧公開
先日、岩出山の 「旧有備館」 に行きました。
「有備館」 は、江戸時代に岩出山伊達家が開設した 「学問所」 で、
伊達家当主が講義に臨んだ 「御改所」 (主屋) と 「附属屋」 が、その姿を今に伝えています。
東日本大震災により 「御改所」 が倒壊し、「附属屋」 や 「庭園」 なども被害を受け、
復旧工事を行っていましたが、この度完了となり4月25日に 「落成式」 が行われました。
門をくぐると、そこは全くの別世界。
時間がゆったりと流れる庭園は、日常の喧騒をいっとき忘れさせてくれました。
伊達政宗は、天正19年(1591年)に米沢から岩手沢に居城を移し 「岩手沢」 を 「岩出山」 と改めました。
慶長6年(1601年)に仙台城に移り、岩出山は政宗の4男宗泰を初代とする岩出山伊達家が
代々伊達一門として治めました。
有備館の建物 「御改所」 (主屋) は、二代宗敏の隠居所として延宝5年(1677年)ころに
建てられたとする説が有力で、その後、「下屋敷・隠居所・学問所」 として使用されてきました。
御改所の 「お上の間」 には、この建物の美称と伝わる 「対影楼」 の額が掲げられています。
庭園は、正徳5年(1715年)ころ、4代村泰の時代に整備されたと伝えられ、
岩出山城本丸の断崖を借景として、池の中に 「御中島」 「鶴ヶ島」 「亀子中島」 「兜島」 の
4つの島を配した 「廻遊式池泉庭園」 で、「御中島」 には 「茶亭」 があり、
島に渡る橋がかけられています。
有備館および庭園は、昭和8年(1933年)、国の史跡・名勝の指定を受け、
昭和45年に岩出山伊達家より、旧岩出山町へ移管されました。
庭園には 天皇皇后両陛下の 「お手植えの松」 をはじめ、300年以上の樹木があり
四季を通して緑や花などで庭の変化を楽しむことができます。
今回桜はすでに盛りを過ぎていましたが、それでも ドウダンツツジや淀川ツツジ などが咲き競い、
鬱蒼とした竹林には、タケノコがそこかしこに顔を出していました。
展示されていた 「有備館」 の復旧工事の写真を見ながら、
熊本地震で被災した 「熊本城」 に思いを馳せました。
「熊本城」 は、復旧まで20年以上かかるかもしれないと聞きます。
熊本の歴史的シンボルとして、一日も早い復旧を願ってやみません。