東日本大震災から 6年
東日本大震災から 6年。
6年前の、3月11日の夜空を再現したプラネタリウム 「星空とともに」 が、今脚光を浴びている。
この 「星空とともに」 は、震災当日の仙台市の星空の映像とともに、
被災者の体験談が流れる40分間のプログラムで、
「停電していた震災当夜は、星空がきれいだった」 という声を耳にした仙台市天文台のスタッフが、
震災翌年に制作し、上映を始めたものだ。
私は、6年前の、あの夜空を覚えている。
普段なら市の中心部から30分の道のりを、4時間半かかってやっと自宅に辿り着き、
当時82歳の母と二人で、余震の度に悲鳴を上げながら、玄関先のエンジンをかけた車の中で、
一晩、まんじりともせず、空を見つめていた。
ラジオが伝える
「海岸に 200~300人の遺体が打ち上げられた」 という内容が、どういう意味かもわからず、
その夜空が、時々赤く染まるのを、不思議に思いながら、ただ見つめていた。
大変なことが起きたということだけは、わかったけれど、
何をどうしたらいいのかわからずに、ただ呆然と空を見つめながら、夜明けを待った。
それは、本当にきれいな夜空だった。
満天の星空だった。
あの夜から6年
我が家には、6年前の形跡がいまだに残っている。
そこだけ、時間が止まったままになっている。
それは、隣りの区にあった、全壊した実家を取り壊す際に運び出した「段ボールの山」 だ。
大小合わせて、174個にも及ぶその段ボールは、私の家の2部屋を今も占領している。
当時、引っ越し業者の人に、
「震災の引っ越しの中で、今まで一番多い量ですね」 と言われたその段ボールには、
実家での50年以上に及ぶ、父と母の生活の証が詰まっている。
母は、「使わないものは、この際処分してもらおう~」 という私の言葉に、「そうね」 とうなずきながらも、
気が付くと、ほとんどの物が段ボールに詰め込まれていた。
結局、処分できなかったその荷物たちに、これまで、母も私も、触れることが出来ずに来た。
段ボールのふたを開けた途端、被災したあの日を思い出しそうで、開ける勇気がなかったのだと思う。
先日、88歳になった母が、言った。
「そろそろ、荷物片付けようかしら・・・」
6年たって、やっと出た言葉だった。
あの段ボールを開けたら、プラネタリウムで6年前のあの夜空を思い出すように、
6年前の実家の思い出と、向き合うことができるだろうか・・・・・・
少し暖かくなったら、母と一緒に、段ボールを開けてみようと思っている。
今なら、思い出話に花が咲くかも知れないと思いながら、とりあえず開けてみようと思う。
これが、あの日から6年経った、私の思いです。
皆さんにとって、この6年はどんな年月でしたか? そして今皆さんは何を思いますか?
★「震災から2か月」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-34.html
★「被災地の人になって」 http://www.rodoku.org/news/201107rodoku.pdf
★「被災地での朗読ボランティア」 http://www.rodoku.org/news/2012spring.pdf
★「朗読ボランティアの報告」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-53.html
★「あの日から1年」 http://www.stage-up.info/person/cat1/1.html
★「あの日から1年半」 http://www.stage-up.info/person/cat1/1-1.html
★「朗読と涙」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-69.html
★「白いネクタイ」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-70.html
★「震災番組出演」 http://www.stage-up.info/person/cat1/311.html
★「忘れないということ」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-78.html
★「震災番組に思うこと」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-172.html
★「あの日から4年」 http://www.stage-up.info/person/cat1/4-1.html
★「亘理での偶然の再会」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-276.html
★「あの日から5年」~心に響いた言葉~ http://mbp-miyagi.com/stage-up/column/13065/