「父のことば」
私の父は寡黙な人で、背中の大きい存在感のある人でした。
普段はとても穏やかな人でしたが、怒ったときの「鶴の一声」は、とても迫力がありました。
その一声に、私たちは飛び上がり、後はシュンとするのでした。
近寄りがたいという感じでは、決してなかったのですが、
小さい頃から私はどうしても、父の前では膝を崩すことができませんでした。
「お父さんが帰ってきたよ」と言われると、必ず居ずまいを正して父を迎えたのを覚えています。
晩年は病気がちで、入退院を繰り返した父でしたが、
それでも最後まで諦めることなく病に向き合い、4年前に亡くなりました。80歳でした。
そんな父が言った「ひと言」を、私は忘れることが出来ません。
それは、父が体調を崩して入院した時のことでした。
母はいつも父に「じ~じ、愛してるよ!」と声を掛けていました。
すると父も「ば~ば、愛してるよ!」と返事をしました。
これは、朝晩の「おはよう」「おやすみ」の挨拶と同じように、二人の間で交わされてきた言葉でした。
父と母は同い年で、昭和ひとけた生まれです。
私は、いつもその光景を見ながら、父と母の夫婦としての姿を、微笑ましく思っていました。
その日も母は、いつものように「じ~じ、愛してるよ!」と病室の父に声を掛けました。
父も「ば~ば、愛してるよ!」と返事をしましたが、その声は少し弱い声でした。
今日は少し調子が良くないのかな?・・・と私は思いました。
すると、母は何を思ったのか「じ~じは、誰を一番愛しているの?」と父に聞いたのです。
なんで今そんなことを聞くんだろうと思っていると、父は少ししんどそうにしながらも答えました。
「ば~ば」
それを聞いた私と妹が「ば~ばだって!ごちそう様!」と冷やかすと、
父はちょっとびっくりした顔をしました。
どうやら、ベッドの足元の方に座っていた私と妹に、父は気がついていなかったようでした。
そして母が「いいんだよね~!じ~じは ば~ばを一番愛してるんだよね~」といったとき
父が言ったのです。少し照れた様子で、苦しそうな息をしながら、ひと言こう言ったのです。
「みんな」
それを聞いた私たちは、それこそ「みんな」で声を上げて笑いました。
「ば~ばが一番」と言ったのに、私と妹がいることに気づいて言い直した言葉「みんな」
父らしいと、私はその時思いました。
そして、それが父と交わした「最期のことば」になりました。
その日、父が逝ってしまうなど、誰も思っていませんでした。
それまで何度も「峠」をこえて、様々な病を克服してきた父でしたから
その時も、主治医の先生の診立て通り、2週間もすればまた元気に退院できると、
家族の誰もが思っていました。
おそらく父も、そう思っていたでしょう。
ですから父は私たちに「ば~ばを頼む」とも「家族仲良く」とも何も言わずじまいでした。
私たちも「家族で頑張るから」も「ありがとう」も何も言えずじまいでした。
でも父は私たち家族に、かけがえのない言葉を残してくれました。
「みんな」・・・この言葉に私は支えられています。
震災の時も「父が家族みんなを見ていてくれる」そう思って頑張りました。
「父が家族みんなを守ってくれる」そう思って乗り越えました。
きっとこれからも私は、父のこの言葉に支えられて、生きていくと思います。
父の言った「みんな」という言葉は、私にとってかけがえのない宝物です。
皆さんにとって「かけがえのない言葉」はなんですか?
父の好きだった額紫陽花が 今年もきれいに咲きました