「 チラシに魅かれて観た芝居 」
CDやレコードの 「 ジャケ買い 」というのは聞いたことがありますが、
今回は、まさしくそれ。つまり 「 チラシに魅かれて 」芝居を観ました。
シス・カンパニー公演 『 今ひとたびの修羅 』
ご想像どおり、堤真一さんの 「着流し姿」 に魅かれたのです。
作家 尾﨑士郎の 「人生劇場 残侠編」 を原作とするこの作品は
大正末期から昭和初期の 「侠客の世界」 を舞台に、
義理と人情、男と女の純愛を、真っ向から描いたもので、
演出は、劇団☆新感線を主宰する、いのうえひでのり氏。
ここからは、プログラムからの抜粋です。
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「やせ我慢」 が身上の、そんな侠客の代表が、堤真一扮する 「飛車角」
義理がらみの出入りに助太刀した挙句、一人で罪をかぶって 「クサい飯」 なんて
ものごとの筋道にこだわるにも程がある。
その不器用さが女を惹き付けると同時に、悲しませもする。
飛車角の恋女房 「おとよ」 は、飛車角が刑務所に入っている3年の間
一人身が寂しく、飛車角の弟分の 「宮川」 (岡本健一) とねんごろに・・・・・
宮沢りえ演ずる 「おとよ」 は、火の玉のような 「女の激情」 を、
男なしでは生きられない 「女の業」 を、 「飛車角」 に体ごとぶつける。
飛車角が言うところの 「気むらな女」(移り気で気まぐれな女)という言葉が、言い得て妙。
一方で、小出恵介演じる、ボンボンの 「瓢吉」 を挟んで対峙するのが
すべての感情を自分の中に飲み込む 「お袖」 (小池恵子)と
一見時代の最先端を翔んでいるようで、一皮むけば精一杯のやせ我慢の 「照代」 (村川絵梨)
煮え切らない 「瓢吉」 の態度がじれったい。
そして、そんな若者たちの世話を焼くのが、風間杜夫演じる 「吉良常」
「酸いも甘いも噛み分けた」 とは、まさにこのことで
数々の修羅場をくぐり抜けてきた 「男の凄味」 を秘めつつも
「男は女にやさしくしなくちゃ」 と諭す言葉の説得力。
すっぱりとした去り際、人生への幕の引き方も見事で、
若者たちに、希望の灯をともす代わりに 「老兵は去りゆくのみ」 という心情が
人生の深淵を感じさせる。
たぎる思いを相手にぶちまけるか、自分の腹にぐっと収めるかの違いだけで、
それぞれが 「修羅」 を抱えている。
「侠客道」 を貫く男たちと、至極の愛に生きる女たちの壮絶な魂の物語。
まさしく 「人生劇場」
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演出のいのうえ氏が 「今日び、なかなかやることのない芝居」 というくらい
登場人物の中に渦巻く感情が、とてつもなく濃い。
そうした、ストレートな純愛と同時に 「任侠もの」 というのも、今の時代には珍しい。
「いのうえひでのり演出」 と言えば、ドラマティックな 「音楽使い」 と、鮮やかな 「殺陣」
もちろん今回も 「よ!!待ってました!!」 と、大向こうから声がかかりそうな、立ち回りに始まり、
極めつけは、殴り込みに向かう 「飛車角」 と 「宮川」 の 「男2人の道行」
それはもう、惚れ惚れするような、クライマックスでした。
劇団☆新感線の公演ではなかったためか、または 「原作」 によるものか
いつもの 「笑いの要素」 こそ、少なかったものの、見ごたえ充分な芝居でした。
侠客の世界に限らず 「義理と人情」 が希薄になっている世の中にあって、
人のつながりの濃さをストレートに描くこの作品は、今という時代だからこそ新鮮に映るのでは・・・・・
そんなことを思った芝居でもありました。
シス・カンパニー公演 「今ひとたびの修羅」
4月29日まで、新国立劇場 中劇場にて 公演中です。